小笠原諸島は複雑な歴史を持つ島です。
文禄2年(西暦1593年)に小笠原民部少輔貞頼が無人島だった小笠原を発見したと伝えられています。
長らく無人島のままでしたが、1830年6月26日にナサニエル・セーボレーをはじめとした総勢23名の欧米系移民がこの島に住み始めました。
この写真の中で欧米系の容貌を持つ方々はこの欧米系移民の子孫であり、風貌に歴史を留めています。
1953年にペリー提督が浦賀に上陸した年に小笠原諸島にも立ち寄り、当時島長だったナサニエル・セーボレーから石炭用貯蔵地を50ドルで買い上げました。
アメリカの動向にあわてた幕府は1861年に威臨丸を派遣し、幕末から明治初年にかけては小笠原は完全に日本に帰属はしていませんでした。
明治9年に明治政府は小笠原開拓を決議し、小笠原は正式に日本の領土となりました。 その後、八丈島をはじめとする地域から日本人が移住し、日本からの移民が徐々に増えていくようになりました。
小笠原では彼ら戦前に移民した日本系島民を「旧島民」、戦後に移住した移民を「新島民」と呼び分けています。
昭和16年に太平洋戦争が勃発すると硫黄島、小笠原諸島は本土防衛のための前線基地として変質していきます。
昭和19年7月、数名の男性を除いた6886名の島民が本州に強制疎開を命じられた。 その後、昭和20年の敗戦後は小笠原は米軍に占領されました。
旧島民は帰島を許されなかったが、祖先が欧米系移民の家族だけは帰島を許され、昭和21年135名の欧米系島民が父島に住むようになりました。
昭和43年6月26日、小笠原は日本に返還され旧島民の帰還と新島民の移住が始まりました。
多様な人間による移住と国境に面した環境がこの島の複雑な歴史を織りなしてきました。
私は2012年に小笠原に初めて旅行した際然欧米系島民の南ジョージさん、南スタンリーさんと知り合い、そのお話を聴くことが出来ました。
小笠原は複雑な歴史と同時に、豊かな自然に抱かれた島です。
この島の人々は自然と共存し、自然体で暮らしています。
老若男女、様々な人がこの島に暮らしているが、どの人も笑顔が穏やかで輝いています。
もしあなたが小笠原に訪れたいと思うようになったら、ぜひ小笠原の歴史についても思いを馳せてみてください。